>>近くの山の木で建てるこだわり  >>国産材と外国産輸入木材



外国産輸入木材は、今や日本の木造住宅には欠かせない材料です。
京都木材業史によれば、「範田商会(大阪安治川口の居留地に店舗を持つ貿易商店、英人ハンター、日本名範田竜太郎)が日露戦争当時、北米カナダ材、米松長尺大角と原木を輸入したのが関西において、はじめて」と伝えています。
弊社前会長辻井重郎が入社当時(昭和八年)の想い出として、
「米材(米国産材)の中でも、ベイマツが多く、価格が安かったことから、小学校の建築材としての需要が多かったと話されていたことがあるが、京北町周山で数年前、五十年前に建てられた小学校を改築するため解体したところ、ベイマツが大量に使用されていたのにはびっくりした」という話があります。戦前にも米材は京都の山どころの京北にまで浸透していたことが覗えます。

我々辻井木材グループの中には、「辻井木材市売」という名を持つ会社があります。その社名にある「市売」は、弊社が永年主力の商いとしていた木材の「セリ売り」を指すものであります。今では、「市」といえば、「セリ売り」を指す言葉と理解されています。その風景は、さながら鮮魚や野菜などをセリ売りするようなもので、その商品の価値を見抜く目、相場感が決め手になるプロ同士の駆け引きが展開されました。
京都木材業史によれば、「明治四十年頃、西京極郡村で長谷藤、内藤清等らが、昔より保津川を下ってくる丹波の材木筏を西京極の発展に伴い、桂川沿岸の郡村に筏を水揚げして、入札売りを始めた。これと前後して、大宮松原西入(京一商跡)で辻井重太郎らの市売り、さらに三条西大路東入において大藪常次郎の一般素材や製材品の入札市売開始、明治末期ごろ、千本通出世稲荷横の空地において、木平、丸登、酢嘉らによる原木、製材品の入札市売開始、このように各所において材木市場が設けられていた。・・・元来、京都府は生産地で、明治末期ごろまでの府内消費量は極めて少量で、その大半は府外へ移出されていた」このような記述からしても、すでに明治末期から問屋業の販売方法の一つとして、入札による市売りを取り入れてことが推察されます。また、「森林国家」と言われる日本の中で、京都が生産地として栄えていたことにも少し驚きですね。

国産材の代名詞として「杉」「檜」の名は有名ですね。その中の「杉」についてのイメージは皆さんの中でどのように写っているのでしょうか?
成長は早く、早く仕上がる材としては、材質は良いにもかかわらず、「大衆材」「安材」として、常に檜よりも評価は低い。それはどうしてなのか?杉の特徴を書き出してみましょう。
@  強度は必ずしも強いとはいえず、「普通」である。
A  国産材の中で比重はサワラに次いで二番目に軽い。
B  材質は適度にやわらかいのに、あまり狂わない。
C  乾燥しにくい。乾燥材の生産者泣かせの材である。
D  最大の美点として、材色のやわらかさがソフトムードを演出する。
国産材が再び脚光を浴びる近年、杉はその代表として様々な場面で好んで使用されています。家の骨組となる「構造材」として。また、インテリアを演出する「内装材」として。その特徴、魅力が最大限に活かされる時代がようやく訪れたように感じます。
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